五十パーセントと五十パーセントを足すと、百二十くらいになる
二本の案件に五十ずつ。どちらにも全力を出せないまま、僕は八店舗の予定を二店舗で切り上げた――黒木が、中間報告で刺されるまでの三ヶ月と、そのあとについて書いた記録。
四月のアサインの連絡は、一通のメッセージだった。
「黒木、来週から定食のほう五十で入って。保険のは継続で五十ね」
黒木です。二十五歳、入社二年目。五十と五十で百なので、計算上は問題がない。問題がないという顔をして、僕は「承知しました」と返した。
アサイン ―― 二本
一本目、定食チェーン。直営が九十八店、フランチャイズが四十店。街の駅前にある、ごはんとみそ汁と主菜のあれだ。主力の定食が七百九十円。
依頼は、メニューの改定と、原価管理の立て直し。原価率が上がっていて、去年の平均で三十四・八パーセント。目標は三十二パーセント。
二本目、損害保険会社の代理店手数料の体系見直し。こちらは二月から入っていて、そのまま継続。
定食のほうのマネージャーは今泉さん、保険のほうは久我さんという別の人だった。二人は仲が悪いわけではない。ただ、お互いの案件の状況を知らない。知る仕組みもない。
立ち上がり ―― 原価が三つあった
定食の案件の最初の二週間で分かったのは、この会社の中で「原価」という言葉が三つの意味で使われていることだった。
商品部は、レシピ通りに作ったときの原価を言っていた。標準原価。生姜焼き定食なら二百四十一円、と決まっている。
店舗の店長は、その月に仕入れた食材の金額を売上で割ったものを言っていた。
経理は、期首在庫と仕入と期末在庫から出した売上原価を、売上で割っていた。こちらには廃棄もロスも入っている。
三つの数字は、月によって二ポイント以上ずれる。会議では、三人がそれぞれの数字を持ってきて、噛み合わないまま「原価が高い」という結論だけが共有されていた。
僕はこれを見つけたとき、けっこう嬉しかった。二年目でも見つけられることがある。今泉さんに報告したら、「いいね。それ、一枚にして」と言われた。
その一枚は、結果的にこの案件でいちばん使われた資料になった。役員会に二回出て、店長会議でも配られた。
作るときに、三つの数字を三ヶ月ぶん並べた。商品部の標準原価は三十一・二パーセントで動かない。当たり前だ、レシピが変わらないから。店長の実感値は三十三から三十五のあいだで揺れる。経理の数字は三十四・八。
差の中身を潰していったら、廃棄が売上の一・九パーセントあった。それから、レシピと実際の盛りつけの差。キャベツの千切りを、店によって多めに乗せている。多めに乗せる店のほうが、客の評判はいい。
この「多めに乗せると褒められる」というのを、商品部の課長は知っていた。知っていて、標準原価は変えていなかった。「変えると、それが正解になっちゃうので」と言われた。理屈は分かる。分かるが、それだと現場の数字は永遠に合わない。
嬉しかったのは、そこまでだった。
二本の時間
五月から、時間が壊れ始めた。
保険のほうが、六月上旬に役員報告を控えていた。代理店ごとの手数料の試算を、七百二十の代理店ぶん回す。回すのは僕だった。
定食のほうは、六月末に中間報告がある。こちらは店舗の実態を見に行くのが僕の担当だった。
同じ週に、両方の作業がある。片方に朝から夕方まで取られると、もう片方は夜になる。
僕のノートパソコンには、デスクトップが二つ作ってあった。左が保険、右が定食。切り替えるたびに、頭の中の言葉も切り替える。手数料率と、生姜焼き。
五月の三週目、僕は保険の会議中に、定食の資料の話をしそうになった。口に出す寸前で止まった。止まったので何も起きなかったが、あのとき僕は自分がどっちにいるか分からなくなっていた。
稼働は、五月が二百四十時間くらい。六月はもう少し多い。
チャージの入力は、五十対五十で入れていた。実際の時間は、たぶん六対四で保険が多かった。締切が近いほうに、時間は勝手に寄る。
このズレを、僕は誰にも言わなかった。言うと、どちらかのマネージャーが調整をすることになる。調整というのは、たいてい誰かの作業が僕から誰かに移ることで、移った先の人が夜中まで働く。二年目の僕が知っている範囲では、それしか起きなかった。
だから僕は、五十対五十のまま入力した。入力しながら、これは記録として嘘だな、と毎週思っていた。毎週思って、毎週同じように入れた。
いちばんきつかったのは、時間そのものより、頭の中に二つの締切が並んで立っていることだった。どちらか一方だけなら、遅れているときに「遅れている」と分かる。二本あると、片方が進んでいる時間は、もう片方が遅れている時間になる。何をしていても、常にどこかが遅れている感覚があった。
五月の終わりに、同期に「どう?」と聞かれて、僕は「二本とも中途半端」と答えた。同期は「うちは三本」と言った。僕は笑った。笑ったが、あまり面白くなかった。
六月 ―― 二店舗で切り上げた
定食のほうで、僕がやることになっていたのは、店舗のヒアリングだった。
八店舗。都市部の高収益店を二つ、標準的な店を四つ、赤字の店を二つ。現場で、実際にどう発注して、どう仕込んで、どこでロスが出ているかを見る。今泉さんと二人で計画を立てた。
六月の第一週に、二店舗行った。都市部の店と、郊外の標準店。
一店舗目の店長は三十代の男性で、発注を全部自分の勘でやっていた。本部のシステムに推奨発注量が出るのだが、「あれは当たらないので」と言って、自分のノートを見せてくれた。天気と、近所のイベントと、前年の同じ曜日が書き込まれていた。この店の原価率は三十一パーセント台だった。
二店舗目の店長は五十代の女性で、この人も推奨発注量を使っていなかった。理由は違って、「見方が分からない」と言った。それでもロスは少なかった。仕込みの量を、朝の客足を見て後から足す運用にしていた。
面白かった。二店舗とも、本部の仕組みを使わずに、自分のやり方で回していた。
僕はここで、「本部の推奨発注が現場で使われていない」という筋が見えたと思った。
第二週に、保険の役員報告が二日後ろにずれた。ずれたぶん、試算のやり直しが入った。
残りの六店舗は、僕から今泉さんに「来週に寄せていいですか」と言った。今泉さんは「いいよ」と言った。
来週になったら、保険のほうで追加の分析が入った。
結局、六店舗は行かなかった。行かないまま、中間報告の週になった。
中間報告 ―― 「何店舗ですか」
六月二十七日、中間報告。参加者は役員が四人と、商品部と店舗運営部の部長。
僕のパートは、店舗の実態のところだった。十四枚。
「本部の推奨発注は、現場でほとんど使われていません」と僕は言った。「見ている店長は、独自の判断で上書きしています。見ていない店長は、そもそも使い方を知りません」
店舗運営部の部長が、手を挙げた。四十代後半の人で、それまで一度も口を開いていなかった。
「これ、何店舗見ましたか」
僕は、一瞬止まった。止まった時間は一秒くらいだと思う。それから「二店舗です」と答えた。
部長は「二店舗ね」と言って、それから「うち、九十八店ありますよ」と言った。
会議室が静かになった。今泉さんが「サンプルは追加します」と言って、話を進めた。進めたが、そのあと僕のパートの話は誰もしなかった。
会議のあと、部長が僕のところに来た。怒っていなかった。
「あの二店舗、どこですか」と聞かれたので、店名を言った。
部長は少しだけ笑って、「うちで発注がいちばん上手い二人ですよ」と言った。
「あの二人はね、システムが無くても店を回せるんです。だから、あの二人の話を聞くと、システムが要らないように見えるんですよ」
そのあと、部長は「悪いのは君じゃないです」と言った。僕は「いえ、僕です」と答えた。この返しは、その場で考えて言った言葉ではなくて、勝手に出てきた。出てきたあとで、正しいことを言ったなと思った。正しいことを言った気持ちよさが少しあって、そのことが嫌だった。
高収益店を選んだ結果、たまたまそうなっていた。標準店だと思っていた二店舗目の店長も、社内では発注が上手いことで知られている人だった。
つまり僕が見たのは、「推奨発注を使わなくても回せる人」の二例だった。使えなくて困っている店を、僕は一つも見ていなかった。
そのあと
七月に、残りの六店舗と、追加で四店舗、合わせて十店舗を回った。二週間で。
その十店舗のうち、七店舗は推奨発注をそのまま使っていた。使っていて、ロスが出ていた。理由は、推奨の計算に入っているデータが、天気も曜日も入っていない単純な平均だったからだ。
正しい筋は、「使われていない」ではなくて、「使える店は上書きし、使えない店はそのまま使って損している」だった。方向が真逆ではないが、打ち手が変わる。
「使われていない」が正しければ、打ち手は「使わせる」になる。研修とか、モニタリングとか、そういう話になる。実際、六月の中間報告のあと、店舗運営部では一瞬その話が出ていた。
「使える店は上書きしている」が正しいなら、打ち手は逆で、上手い人がやっている上書きの中身を推奨のほうに取り込むことになる。天気と、近所の予定と、曜日。一店舗目の店長のノートに書いてあったものだ。
最終報告で出した案は、そちらだった。推奨発注の計算に三つの変数を足す。それと、上書きした量と実績の差を店ごとに記録して、上書きが上手い店長のパターンを半年で集める。
メニューのほうは、六十二品を四十八品に絞る案を出した。落とすのは、注文の少ない品ではなく、仕込みの工程が他と共有できない品を優先した。仕込みが独立している品は、少量でも下ごしらえの手間とロスが丸ごと乗る。この考え方は今泉さんが持ってきたもので、僕が考えたものではない。
最終報告では、その十二店舗ぶんの話をした。今度は件数を先に言った。「十二店舗を見ました。うち赤字店が三、標準が七、高収益が二です」
店舗運営部の部長は、そのとき何も言わなかった。会議のあとに「今度は行きましたね」と言われた。嫌味ではなかったと思う。思うが、僕は少し顔が熱くなった。
生活 ―― 試食
この案件で、僕は生姜焼き定食を、三ヶ月で十一回食べた。
試食の会が四回あって、そのうち二回は八品ずつ出た。食べて、点数を付ける。四回目の途中で、味が分からなくなった。分からなくなったことを言えなかったので、無難な点数を付けた。あの点数は集計に入っている。
体重が二・八キロ増えた。増えたのは試食のせいではなく、たぶん夜中の二時にラーメンを食べる日が週に二回あったせいだ。
家は会社から二十分の1K、家賃七万九千円。年収は五百六十万円。二年目の同期のなかでは平均だと思う。
四月に付き合い始めた人がいて、六月に一度、予定をドタキャンした。二回目のドタキャンのときに「大丈夫?」と聞かれた。「大丈夫」と答えた。七月に別れた。理由はそれだけではないと思うが、それも入っていると思う。
後記 ―― 次のクール
十月から、僕はまた掛け持ちになった。定食のほうは終わって、保険のほうが継続で五十。新しい案件が五十。
今泉さんには、一度だけ「掛け持ち、きついです」と言った。今泉さんは「そうだよな」と言って、「調整するわ」と言った。調整は、たぶん本当にしてくれたのだと思う。それでも五十と五十だった。
僕がいま気をつけているのは、一つだけだ。現場に行く予定を、締切のある作業より先にカレンダーに入れる。入れたら動かさない。
先週、それを動かした。動かしたときに、六月のことを思い出した。思い出したが、動かした。
九十八店のうち二店舗、というのを、僕はしばらく忘れないと思う。忘れないのに、たぶんまた同じことをする。そこがいちばん嫌なところだ。
一店舗目の店長のノートの写真を、僕はまだスマホに残している。天気のマークと、近所の小学校の運動会の日付と、前年の数字が、鉛筆で書いてある。
写真のフォルダの中で、それは六月三日に撮ったことになっている。中間報告の二十四日前だ。
答えは、あの日から僕の手元にあった。手元にあったものを、僕は二店舗ぶんの話として持っていった。
その写真を消すつもりは、いまのところない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。