二十一時の定例で、私の発言時間は四十五分のうち二分だった
定例は日本時間の二十一時と二十三時にあった。四十五分の会議で、私が話すのは二分――穂積が、末端の側から一つの数字を通すまでの七ヶ月の記録。
案件が始まったのは九月で、最初の連絡はメールだった。英語で、二百語くらい。差出人は、欧州のオフィスのマネージャーだった。
穂積です。二十七歳、入社四年目。英語は、大学のときに交換留学で一年行っている。社内の語学の申告区分は、上から二番目に入っている。その区分が何の役にも立たないことを、この七ヶ月で知った。
アサイン ―― 二十一時と二十三時
クライアントは、日本の化粧品メーカーだった。国内が売上の六割、あとは海外。海外は、地域統括が三つある。
依頼は、グローバルで共通のKPIを定義して、それを取れるデータ基盤を設計すること。いま、地域ごとに指標の定義が違っていて、本社に上がってくる数字が比較できない。
プロジェクトの主導は、欧州のオフィスだった。うちの日本チームは三人。パートナーが一人、マネージャーの真木さん、それから私。
役割は最初の会議ではっきりしていた。全体の設計は欧州側がやる。私たちは、日本と、日本が管轄しているアジアの一部について、現状のデータの持ち方を調べて出す。
定例は週に二回。日本時間の二十一時と、二十三時。欧州の朝と昼にあたる。
立ち上がり ―― 二分
最初の定例に出た。参加者は十四人。うち日本からは三人。
四十五分の会議で、私が話したのは二分だった。
二分というのは、盛っている。正確には、真木さんに振られて「日本のデータの受領は来週です」と言ったのと、質問に「はい、確認します」と答えたのを足して、一分四十秒くらいだと思う。
英語が聞き取れないわけではなかった。速さも、そこまでではない。参加者の半分はネイティブではないので、みんなゆっくり喋る。
聞き取れるのに入れないのは、話の順番が決まっているからだった。誰かが提案して、二人がコメントして、まとめる。その流れの中に、入る場所がない。入ろうとすると、話が終わっている。
三回目の定例のあと、私は真木さんに「もっと発言したほうがいいですよね」と言った。真木さんは「うーん」と言って、少し考えてから、「発言の量を増やしても、たぶん意味ないよ」と言った。
「一箇所だけ決めて、そこで言えばいい」
そのときは、慰められているのだと思った。
九月と十月のあいだ、私は会議のたびに、話そうとして話せなかったことを手元のノートに書いていた。二ヶ月で三十七個あった。
あとで読み返したら、そのうち三十四個は、言わなくてよかったことだった。相槌の代わりに何か言いたかっただけの内容が、ほとんどだ。
残りの三つのうち、二つは、その後の会議で誰か別の人が言った。私が言えなかったから代わりに誰かが言ったのではなく、その論点はもともと誰かが言うようになっていた。
残りの一つが、美容部員の話だった。
仮説構築 ―― 美容部員はどこに入るのか
十月に、日本のデータを集め始めた。
すぐに、一つ引っかかった。
この会社は、日本国内で、百貨店やドラッグストアの売場に、自社で雇っている美容部員を置いている。千四百人くらいいる。彼女たちの人件費は自社が負担する。売上は、百貨店を通じて計上される。
欧州側が作っていたチャネルの定義では、売上は三つに分かれていた。自社が運営する店舗、外部の小売店舗、それからオンライン。
百貨店経由の売上は、定義上、外部の小売店舗に入る。
そうすると、日本の「外部の小売店舗」チャネルは、売上に対して販売関連の人件費が異常に高く見える。他の地域の同じチャネルには、その人件費が入っていないからだ。
比べると、日本の小売チャネルの収益性は、他地域の半分以下に見える。実際には、売り方が違うだけだった。
十月の半ばに、百貨店の売場を見に行った。平日の火曜、十四時。
売場に立っていたのは、三十代くらいの女性の美容部員だった。四十分見ているあいだに、接客したのは三人。そのうち買ったのは一人で、六千八百円の乳液だった。
残りの二人のうち一人は、二十分近く話していた。肌の相談で、季節の変わり目に赤くなる、という話をしていた。美容部員は途中で手の甲にサンプルを二種類のせて、比べさせていた。最後に「今日は決めなくていいですよ」と言った。
その人は買わずに帰った。
売上のデータには、この四十分のうち六千八百円しか残らない。二十分の相談も、「今日は決めなくていい」も、どこにも記録されない。
私はそのとき、この数字の話が、たぶん人の話なのだと分かった。分かったことが、その後二回の失敗のもとになった。
私はこれを、十月の下旬の定例で説明した。
説明しすぎた日
一回目の説明は、失敗した。
私は、日本の化粧品の売り方の背景から話した。カウンセリング販売という形態があること、美容部員が肌の相談を受けて商品を選ぶこと、その関係が顧客の継続購入につながっていること。
四分くらい話した。四分は、この会議では長い。
話し終えたあと、欧州側のマネージャーが、「面白い。ただ、これは定義の話ではなく、日本市場の特性の話ですよね」と言った。
その通りだった。私は特性の話をしていた。定義をどう変えるかは、一言も言っていない。
議事録には「日本市場のカウンセリング販売について共有あり」と書かれた。それだけだった。
二回目は、十一月の頭。今度は、定義の変更案を持っていった。
「販売員が自社雇用である売上を、第四のチャネルとして切り出したい」と提案した。
これも通らなかった。理由は単純で、他の地域には該当する売上がほとんどないからだ。日本のためだけにチャネルを一つ増やすと、グローバルの構造が壊れる。
「日本は特殊だ」という言い方を、私はこの二回で二度した。二度目のとき、画面の向こうの誰かが、少しだけ肩をすくめたのが見えた。見えたと思っただけかもしれない。
その夜、二十三時四十分に会議が終わって、私はしばらく座っていた。
一つの数字
十一月の第二週、私は真木さんに相談した。真木さんは「数字にして」と言った。
「特殊だっていう話は、どの地域もするんだよ。全員が特殊なので、特殊は理由にならない」
私は、一つだけ数字を作った。
グローバル共通の定義をそのまま適用した場合の、地域別の「小売チャネルの営業利益率」を並べた表。日本が四・二パーセント、他の三地域が九・八、十一・三、十・六。
そのうえで、美容部員の人件費を各地域の同じ性質の費用(外部の販売支援に払っている費用)と揃えて調整した場合の数字を、隣に並べた。日本は十・一パーセントになった。
つまり、定義をそのまま使うと、日本だけが五・九ポイント低く見える。この五・九ポイントは、実態の差ではなく、費用の入り方の差だった。
表は一枚。数字は八つ。説明は三行。
これを、十一月の第三週の定例で出した。私の持ち時間は、真木さんが事前に交渉して、五分もらってあった。
私は三分で終えた。
欧州側のマネージャーは、表を三十秒くらい見てから、「これは直さないといけない」と言った。
そこからの議論は、私を通り越して進んだ。彼らはチャネルの定義を変えるのではなく、費用の分類のほうに例外を置く案を出した。販売支援に関わる人件費を、自社雇用か外部委託かを問わず同じ費目に寄せる。
三十分で決まった。二回失敗した論点が、三十分で決まった。
中間報告と最終報告
その後の四ヶ月は、データ基盤の設計の話が中心だった。
私は、日本の既存システムから何が取れて、何が取れないかの一覧を作り続けた。取れない項目が四十一あって、そのうち十二は、そもそも日本では記録していないものだった。たとえば、店頭で接客したが購入に至らなかった人の数。日本では取っていない。欧州の一部では取っている。
この一覧を作る作業は、正直に言うと、面白くなかった。
項目を一つずつ、日本側の情報システム部門に確認して、取れる/取れない/条件付きで取れる、を埋めていく。埋めた表を、欧州側のテンプレートに貼り直す。テンプレートは月に二回、様式が変わった。変わるたびに貼り直す。
十二月のある日、四時間かけて貼り直した表が、翌日の定例で「この項目はスコープから外します」と言われて、三分の一が消えた。
そのとき私は、画面をミュートにして、少し声を出した。何と言ったかは覚えていない。真木さんには聞こえていない。
ただ、私はその一覧に、途中から勝手に列を一つ足していた。「この項目を他地域と比較するときの注意」という列だ。誰にも頼まれていない。
たとえば、日本の「新規顧客数」は、会員登録をした人の数で取っている。会員登録は、購入時に美容部員が勧めて、その場で書いてもらう。だから、店頭で接客が丁寧な地域ほど新規顧客数が多く出る。同じ「新規顧客数」でも、オンライン中心の地域とは意味が違う。
その列は、最終的に欧州側の設計書に、そのままの形で入った。列の名前だけ英語に直されていた。
最終報告は、三月にオンラインであった。九十四枚のスライドで、日本チームが作った内容が入っているのは、私の知る限り九枚だ。
そのうち一枚に、費用分類の例外の説明があった。三行の注記が付いている。「販売支援関連人件費については、雇用形態を問わず単一の費目に集約する。これは地域間の比較可能性を確保するための措置である」
その三行は、私が最初に書いた三行がほぼそのまま残っていた。英語は直されていた。
作成者の名前は、どこにも書かれていない。スライドの右下に入っているのは、欧州のオフィスの名前だった。
生活 ―― 壊れた時刻
この七ヶ月、私の一日は二つに割れていた。
朝は普通に出社する。九時半から十八時までは、日本側の作業。ここは普通の案件と同じだ。
十八時にいったん帰る日もあった。帰って、夕食を食べて、二十時半にパソコンを開く。二十一時か二十三時の定例に出る。終わるのが二十二時か、二十四時。
そこから、議事の整理と、翌日までに返す宿題をやる。寝るのは二時前後。
朝は七時に起きる。この生活で、平均睡眠は五時間を切っていたと思う。
耳は、イヤホンで痛くなった。二時間つけていると、右耳の軟骨のところが赤くなる。十一月に、耳にかけるタイプに買い替えた。九千八百円。
肩は、ずっと固かった。英語を聞いているとき、私は無意識に肩を上げているらしい。それを真木さんに指摘された。「画面で見てると、穂積さん、会議中ずっと肩が上がってる」
家は会社から二十五分の1K、家賃九万五千円。年収は七百二十万円。
土曜の朝に、洗濯をして、ベランダに干す時間が好きだった。この七ヶ月で、その時間だけは守った。守れたというより、それ以外に何もできなかった。
後記 ―― 三行
四月に、この会社の日本側の担当者から、短いメールが来た。
グローバルの定義がフィックスして、日本の数字を新しい基準で出したところ、社内で「日本の小売が思ったより悪くない」という話になった、と書いてあった。
当たり前だ。私が直したのは、そこだ。
ただ、その担当者は、その直しが誰の仕事だったかは知らないと思う。書き方から、そう感じた。彼にとっては、グローバルのプロジェクトが定義を決めて、たまたま日本に都合のいい形になった、というくらいの話だ。
私はそのメールに、「よかったです」とだけ返した。
いま、私は日本の案件に入っている。会議は日本語で、私はよく喋る。喋りすぎて、この前、マネージャーに「もう少し絞って」と言われた。
絞る、というのは、あの十一月にやったことだ。八つの数字と三行。あれ以上に絞ったことは、その後まだない。
二十三時の会議のことは、たまに思い出す。思い出すときに一緒に出てくるのは、悔しさではなくて、あの三分が終わったあとの、口の中が乾いていた感じだ。
真木さんに一度だけ、「あの三行、私が書いたって、誰かに言いました?」と聞いたことがある。
真木さんは「言ってない」と答えた。それから「言ったほうがよかった?」と聞かれた。
私は「いえ」と答えた。答えたあとで、少し嘘だったなと思った。半分は本当で、半分は嘘だ。その半分ずつが、いまも同じ大きさのまま、私の中に残っている。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。