八週目に案件が止まって、私は最終報告をしないまま帰ってきた
千百八十地点を三十四に絞ったところで、十月十四日にプロジェクトは止まった。報告会は開かれず、私は二週間かけて資料を並べ直して帰ってきた――室井が、終わらなかった案件について書いた記録。
十月十四日、火曜。十六時三十分に、パートナーの遠山さんから電話が来た。
「室井、明日からの作業、いったん止めて」
室井です。三十三歳、入社八年目。シニアコンサルタント。この案件は、八週目だった。
アサイン ―― 三年で六十店
クライアントは、ドラッグストアのチェーンだった。直営が四百十八店。うち調剤を併設しているのが百三十六店。地域は、複数の県にまたがっている。
依頼は二つあった。一つは、三年で六十店を出すという既存の出店計画を、立地の考え方から作り直すこと。もう一つは、既存店のうち収益が悪い層の立て直し。
私の担当は、出店のほうだった。
チームは六人。遠山さん、マネージャーの久世さん、私、それから三人。期間は五ヶ月の予定だった。八月の最終週に始まった。
立ち上がり ―― 千百八十地点
出店の検討は、地図の上でやる。
この会社の既存店のデータと、人口統計と、競合の店舗の位置と、道路と、車の流れ。それを組み合わせて、まだ店がない場所のうち、出したときに採算が取れそうな場所を探す。
最初の一次スクリーニングで、千百八十地点が残った。九月の第一週だった。
そこから、既存店との商圏の重なりを見て、自社の店と食い合う場所を落とした。調剤を併設する前提だと、周辺の医療機関の数が効く。それも入れた。
二次で二百十二地点。九月の第三週。
そのあと、実際に見に行った。私と若手三人の四人で手分けして、二週間で八十八地点。私は三十一地点を回った。
現地に行くと、地図では分からないことが分かる。交差点の右折レーンがない。駐車場の入口が坂の途中にある。向かいのスーパーが、平日の昼にほとんど車がない。
三十一地点のうち、資料の上ではよく見えていたのに、行ってみて落としたのが九地点あった。逆に、点数が低かったのに、行ってみて残したのが二地点あった。
残した二地点のうち一つは、県道沿いの、ぱっとしない場所だった。人口も競合も、数字の上では平凡だ。ただ、五百メートル先に整形外科と内科が並んでいて、平日の午前に、そこの駐車場が満車だった。九時四十分と、十一時二十分の二回、見に行った。二回とも満車だった。
調剤を併設するなら、この立地は数字より強い。そう判断して、点数の重みを一つ足した。医療機関までの距離だけでなく、その医療機関の稼働の実感を、係数として入れた。乱暴なやり方だった。乱暴だが、根拠は自分の目にあった。
最終的に、三十四地点まで絞った。十月十日の金曜だった。
このモデルは、いい出来だったと思う。八年目で作ったもののなかでは、上のほうだ。
金曜の夜、三十四地点の一覧が出たときに、若手の一人が「これ、本当に出るんですかね」と言った。私は「出るよ」と答えた。
出ると思っていた。この会社は出店を続けてきた会社で、計画は毎年立っていて、うちに頼んだのはその精度を上げるためだった。止まる理由が見当たらなかった。
見当たらなかったのではなく、私が見なかった。
兆候
いま思い返すと、九月の後半から、いくつか変なことがあった。
一つ目。先方の出店開発部の部長が、定例に来なくなった。九月の第三週から三回連続で、課長が代理で出た。理由は「別件で」だった。
二つ目。九月末に依頼した既存店の月次データが、二週間経っても来なかった。催促を三回した。三回目に、担当の方が「すみません、いま社内が立て込んでまして」と言った。
三つ目。十月の第一週に、経営企画の担当役員との打ち合わせが、二度リスケになった。
私は、この三つに気づいていた。気づいていて、久世さんにも遠山さんにも言わなかった。
言わなかった理由は、はっきりしている。作業が佳境だったからだ。二百十二地点を絞る作業をしていて、そこに集中していた。
それと、もう一つ。私は、こういう兆候を口に出すのが、あまり好きではない。「止まるかもしれません」と言うことは、止まる前提で仕事を緩めることに聞こえる気がしていた。
だから、走った。三人の若手も走らせた。二週間で八十八地点というのは、けっこうな量だ。
一人は、二日で九地点回った日に、レンタカーを縁石に擦った。修理代は経費で処理した。彼は「すみません」と何度も言った。私は「気にしなくていい」と言った。実際、気にしていなかった。
いま気にしているのは、そこではない。あの二週間、私は三人に対して、この作業が何のためかを一度も更新していない。八月に説明した目的のまま、十月まで走らせた。
九月の後半に、私が「先方の様子が少しおかしい」と一言でも言っていたら、彼らの走り方は変わったと思う。速度は変わらなかったかもしれないが、止まったときの受け止め方は変わった。
止まったと伝えたとき、三人のうち一人が「え、なんでですか」と聞いた。私はその場で説明した。説明しながら、この説明は二週間前にできた、と思っていた。
十月十四日
電話は三分だった。
上期の業績が、社内の見通しより下振れた。それを受けて、経営の体制が変わることになった。代表が交代する。
出店の計画そのものを、新しい体制で見直す。だから、いま走っているプロジェクトは、いったん中断する。
遠山さんは「一時中断だから、再開の可能性はある」と言った。
私は「分かりました」と答えた。それから、「三十四地点まで出てるんですけど」と言った。
遠山さんは「うん」と言った。それだけだった。
電話を切って、私は自分の席に座っていた。窓の外がまだ明るかった。十六時三十三分で、十月の中旬だから、まだ明るい。
そのときに、自分が何を感じたかを、正確に書く。
ほっとした。
その日の予定は、二十二時までかかる作業だった。翌日は始発の新幹線で現地に行くことになっていた。それが全部なくなった。
一秒か二秒、体が軽くなった。
そのあとすぐに、若手三人のことを考えた。四人で二週間かけて回った八十八地点の写真とメモを考えた。それから、自分がほっとしたことを考えた。
報告のない二週間
中断の連絡から、契約上の終わりまでに、二週間あった。
その二週間で何をしたか。資料を整理した。
普通の案件なら、この期間は最終報告の準備に使う。今回は報告会がない。先方が「体制が固まってから改めて」と言い、その改めては来なかった。
だから私たちは、読まれるかどうか分からない資料を作った。
久世さんが最初に言ったのは、「結論はいらない」だった。
「三十四地点を推奨するって書いても、体制が変われば前提が変わる。書くべきは、どうやって千百八十を三十四にしたかの履歴だ」
その通りだと思った。
私たちが作ったのは、判断の記録だった。どの段階で、どの基準を使って、何地点を落としたか。基準ごとに、落とした地点のリストと理由。現地で机上の点数を覆した二十六地点については、その場の写真と、覆した理由を全部書いた。
それと、検証していないことの一覧。時間がなくて手をつけなかった論点が、十九項目あった。競合の出店計画の反映、調剤の処方箋単価の地域差、それから、既存店の閉店を含めた最適化。
その十九項目の一覧が、いちばん役に立つ資料になるはずだった。
納品したのは、十月三十一日。データと合わせて、フォルダで渡した。
受け取ったのは、出店開発部の課長だった。会議室ではなく、執務室の入口で立ったまま渡した。「ありがとうございました」と言われた。私は「またご縁があれば」と言った。
言いながら、これは社交辞令だな、と自分で思った。
課長は、フォルダを受け取ってから、少しだけ立ち話をした。
「あの三十四のうち、二つは私が前から目を付けてた場所でした」と言われた。
どこですか、と聞いたら、そのうちの一つが、県道沿いの、整形外科の近くの場所だった。
「あそこ、うちの中では点数が低いんですよ。だから通らなくて」と課長は言った。「室井さんの資料だと残ってたので、ちょっと嬉しかったです」
私は「そうでしたか」と答えた。それ以上、何も言えなかった。
その資料は、これから誰にも読まれないかもしれない場所に置かれるところだった。読まれないかもしれないものについて、嬉しかったと言われた。それに対して、私は何を言えばよかったのか、いまも分からない。
アベイラブル
十一月、私は三週間、案件がなかった。
三週間というのは、この職位だと短くはない。稼働率の数字は、その月だけ落ちる。落ちても、すぐに何かを言われるわけではない。ただ、社内の会議で「室井さん、いま空いてる?」と何度か聞かれる。
その三週間で、私は睡眠時間が七時間になった。
八月から十月まで、平均は五時間半くらいだった。七時間眠れるようになって、最初の一週間は、まだ体が緊張していた。二週目から、普通に眠れた。
眠れるようになったことが、少し嫌だった。
三週目に、社内の勉強会で、出店分析のモデルの話をした。この案件で作ったものを、クライアントが特定できない形に直して、若手向けに三十分話した。
質問が四つ出た。四つとも、いい質問だった。
話し終わったあと、二年目の子に「その案件、どうなったんですか」と聞かれた。
「止まりました」と答えた。
「え、じゃあその三十四地点は」
「どこにも出てないです」
その子は「もったいないですね」と言った。私は「そうだね」と言った。
もったいない、という言葉が、そのときいちばん近い言葉だった気がする。悔しいでも、虚しいでもない。もったいない。
生活 ―― 何もなかった三週間
三十三歳。年収は千二十万円。家は会社から二十分の1LDKで、家賃十三万八千円。一人で住んでいる。
三週間のアベイラブルのあいだ、私は何もしなかった。
厳密には、社内の作業はあった。ただ、十八時に終わる。終わってから、何をしていいか分からなかった。
一日目は映画を観た。二日目も観た。三日目に、観たい映画がなくなった。
四日目、部屋の掃除をした。八月から溜まっていた郵便を開けたら、健康保険組合からの人間ドックの案内が、期限を二ヶ月過ぎて出てきた。捨てた。捨ててから、捨てなくてもよかったなと思った。
友人に連絡しようとして、やめた。八月から十月のあいだに三回、予定を断っている。断っておいて、暇になったから誘うのは、順番が違う気がした。気がしただけで、たぶん誘ってもよかった。
十一月の第二週に、実家に二泊した。母に「痩せた?」と聞かれた。体重は変わっていない。顔が疲れていたのだと思う。
父が、私の仕事のことを聞いてきた。「今は何をやってるんだ」と。私は「今は、ちょっと空いてる」と答えた。父は「休めるならいいじゃないか」と言った。
いいじゃないか、と言われて、私は何も返せなかった。返せなかったのは、そのとおりだったからだ。
後記 ―― 半年後に聞いた話
年が明けて、私は別の案件に入った。小売の案件で、今度は既存店の話だった。
四月に、業界の集まりで、あのクライアントの元役員だった方と話す機会があった。私のことは覚えていなかった。
その方の話では、出店の計画は、結局その年度は動かなかったらしい。翌年度から、新しい体制で改めて検討を始めたそうだ。
そのときに入ったのは、別の会社だと聞いた。
私たちが十月三十一日に渡したフォルダが、その検討で使われたかどうかは知らない。使われたなら、あの十九項目の一覧が、少しは時間を節約したはずだ。使われていないなら、千百八十地点はもう一度、誰かが最初から絞ることになる。
どちらでもいい、とは思わない。ただ、確かめる方法がない。
いま気になっているのは、資料のことではない。
十月十四日の十六時三十三分に、私が一秒ほっとしたこと。あれを、私はまだうまく置き場所に入れられていない。
疲れていたのだと思う。実際に疲れていた。それは説明としては正しい。
正しいのに、あの一秒のことを思い出すと、いまでも少し、背中のあたりが冷たくなる。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。