八時間ぶんの作業を捨てて、僕は「使ったよ」と言った
切り出した事業の利益は、配りかたひとつで黒にも赤にもなる。その前提を役員会で三案そのまま出した夜、後輩の八時間ぶんの作業は捨てられた――芹沢が、初めて人を持った案件について書いた記録。
三月の終わり、パートナーの鴻池さんから「芹沢、次は売る側だから」と言われた。
芹沢です。三十四歳、マネージャーになって一年目。この案件が、自分でチームを持つ二本目だった。
アサイン ―― 売る側
クライアントは、電子部品のメーカーだった。売上が約六百二十億円。主力はセンサ関連で、そのほかに四つの事業がある。
そのうちの一つ、巻線部品――コイルやトランスをつくっている事業を、切り出して売りたい、という依頼だった。売上七十八億円。従業員が二百四十名。
買収する側のデューデリは、これまで二回やったことがある。売る側は初めてだった。
やることは、ざっくり言うと三つある。①この事業だけを取り出したときの財務諸表をつくる、②切り出したときに何が困るかを洗い出す、③買い手候補に見せる資料をつくる。
チームは三人だった。僕と、入社二年目の水島さん、一年目の的場くん。
三人というのは、僕にとって初めての数だった。前の案件では、僕が上に二人いる真ん中だった。
立ち上がり ―― 会社のなかに、その会社はない
最初の二週間で分かったのは、当たり前だが重要なことだった。
この事業は、単体の会社として存在していない。
工場は、センサの主力工場と同じ敷地にある。建物は別だが、電気も、水も、警備も、社員食堂も共通だ。経理は本社の経理部がまとめて処理している。営業は、四つの事業を一人が兼ねて回っている地域がある。
だから「この事業の営業利益はいくらですか」という質問に、この会社は答えを持っていなかった。管理会計上の数字はあった。ただ、それは社内の予算管理のためにつくられた数字で、売るための数字ではない。
本社費が、売上比で一律に配られていた。四つの事業に、同じ率で。
僕たちがやったのは、その配りかたを、根拠のあるものに組み替える作業だった。
人事部の工数は、人数で配る。経理は仕訳の件数で配る。情報システムはアカウント数。工場の用役費はメーターの検針値。検針値は、実は取れていた。工場の保全課が、十二年ぶん、紙で残していた。
この紙を見つけたのが的場くんだった。彼は保全課の休憩室に三日通って、四十代の主任と仲良くなり、キャビネットを開けてもらった。一年目にしては、いい仕事だった。
配りかたを組み替えた結果、この事業の営業利益率は 2.1パーセント になった。従来の一律配賦だと 0.9パーセントだった。
ただし、これは「甘い前提」を全部採用した場合の数字だ。
厳しく置くと、どうなるか。工場の空きスペースを買い手が使えない前提にする。兼務営業を全員この事業の人件費に乗せる。共通の検査装置を単独で買い直す前提にする。
そうすると、マイナス0.4パーセントになった。
同じ事業が、黒字にも赤字にもなる。
切ったあとの半年
配賦の次に面倒だったのは、「切ったあと、すぐには切れないもの」だった。
買い手がこの事業を買っても、翌日から独立して回るわけではない。受注も、出荷も、請求も、いまは親会社の基幹システムの上で動いている。品目マスタも、取引先マスタも、四事業ぶんが同じ台帳に入っている。
だから、売却してから一定期間、売り手が買い手にサービスを提供し続ける取り決めが要る。移行期間のサービス提供契約――現場ではTSAと呼んでいた。
洗い出したのは、五十六項目だった。
システムの利用、経理の記帳代行、給与計算、工場の用役の供給、警備、産業廃棄物の処理委託、それから社員食堂。
食堂を入れたのは的場くんだった。「昼、どうするんですかね」と言い出した。工場の敷地の中に食堂が一つしかない。買い手側の二百四十名がそこで食べられないと、昼に敷地の外へ出ることになる。門から一番近いコンビニまで、歩いて十四分だった。彼はそれを実際に歩いて測っていた。
一つずつ、期間と金額を置いていく。期間は原則十二ヶ月、システムだけは二十四ヶ月。金額は、原価にいくら乗せるか。
この五十六項目の一覧は、後で買い手候補との交渉のなかで、いちばん細かく突かれた資料になった。
四十七名
いちばん時間を食ったのは、人だった。
この事業に「所属している」のは二百四十名。ところが、実際にこの仕事だけをやっている人は二百四十名ではない。
営業と、品質保証と、生産技術に、兼務が多い。名簿を一人ずつ当たって、上長にヒアリングして、業務時間の割合を聞いた。
「半分こっちの人」が、四十七名いた。
四十七名は、売却したときにどちらに残るのかが決まっていない人たちだ。決めるのは会社であって、僕たちではない。ただ、資料には数を書かなければいけない。
水島さんが、この名寄せをやった。三週間かかった。
彼女は途中で一度、「この四十七人って、まだ何も知らされてないんですよね」と言った。僕は「そうだね」と答えた。
それ以上のことは、言わなかった。言えることがなかった、というのが正確だと思う。
六月十三日 ―― 中間報告
役員会は、金曜の十四時からだった。
出席は社長、CFO、事業を管掌する常務、経営企画部長。僕たちの側は鴻池さんと僕。
僕のパートは、切り出し後の収益性の三案だった。甘い前提、標準、厳しい前提。二十一枚。
三案を並べて説明したところで、CFOが手を止めた。六十歳くらいの、静かな話しかたをする人だった。
「これ、三つ出すんですか」
「はい」と僕は答えた。
「一番いいやつでいいでしょう。売るんだから」
会議室が、少し止まった。
僕は、そこで言った。
「一番よく見える案は、買い手のデューデリで必ず崩れます。崩れたときに失うのは、その差額ではなくて、こちらが出した数字全体の信用です。三案を先に出しておけば、価格の交渉は前提の交渉になります」
用意していた言葉だった。前の晩に、声に出して二回練習した。
CFOは五秒くらい黙ってから、「なるほどね」と言った。それから常務のほうを見て、「標準案で走らせましょう」と言った。
会議のあと、鴻池さんが「よく言った」と言った。
僕は、そのとき本当に嬉しかった。三十四歳でも、あれくらいのことで嬉しくなる。
エレベーターホールで、経営企画の課長にも「あれ、助かりました」と言われた。
社内でも、同じことを言おうとして言えなかった人がいたらしい。「甘めで出そう」という空気は、去年からあった。外から来た人間が言うと角が立たない。そのためにお金を払っている、という言い方をされた。
言われて、少し複雑だった。あの二回の練習は、僕の勇気ではなくて、僕の立場のものだったことになる。
それでも、練習しなければ言えなかった。両方本当だと思う。
その前の晩
三案を出せたのは、前の週の金曜に、水島さんに作り直しを頼んだからだ。
僕が彼女に送ったメッセージは、こうだった。
「水島さん、配賦の前提を三パターンで作り直してほしい。月曜の朝までにお願いします」
これだけだった。二十二時七分。
彼女は土曜の朝までやった。
日曜の午前に上がってきたファイルを開いて、僕は手が止まった。三パターンが、僕の考えていた三パターンと違っていた。彼女は「配賦基準を三通り変える」と読んでいた。僕が言いたかったのは「前提の甘辛を三段階にする」だった。
構造が違うので、直しようがなかった。
僕は日曜の午後から月曜の朝六時まで、自分で作り直した。
朝の五時半に、コンビニで肉まんとカフェオレを買った。レシートは経費に入れていない。金額の問題ではなくて、あの八時間を経費のかたちで記録に残したくなかったのだと思う。いま書いていて、そう思った。
月曜の朝、水島さんが「あれ、大丈夫でしたか」と聞いてきた。
僕は「うん、使ったよ」と言った。
使っていない。一行も使っていない。
なぜ嘘をついたのか。その場では、彼女を落ち込ませたくないと思った。いまは、それだけではないと思っている。仕様を渡さずに投げた自分の指示が下手だったことを、彼女に知られたくなかった。
生活 ―― 上がった年収と、減った貯金
三十四歳。マネージャー一年目で、年収は千百八十万円になった。前年から二百三十万円上がった。
上がった年に、引っ越した。家賃十二万三千円から十八万円の2LDKへ。妻と二人だ。子どもの予定を話し始めていて、部屋を一つ増やした。
年収が上がったのに、貯金は前の年より少ない。理由は分かっている。家賃と、外食と、あと、タクシーだ。深夜の帰宅を三回に一回はタクシーにするようになった。それが習慣になるのに、二ヶ月かからなかった。
腰は、六月の頭からずっと痛い。整体に二回行った。二回目に「同じ姿勢が長すぎます」と言われた。
八月 ―― 質問が七百十二個
七月から、買い手候補へのプロセスが始まった。
こちらから資料を出し、向こうが質問を投げてくる。質問はリストで管理する。番号が振ってあって、担当と回答期限と、回答済みかどうかが列になっている。
最終的に、質問は七百十二個になった。
そのうち、僕たちが答えるものが二百九十。残りは先方の各部署だ。
質問を読んでいくと、相手が何を怖がっているかが分かる。
事業会社のほうは、人と設備を聞いてきた。「四十七名の兼務者のうち、転籍対象は何名を想定しているか」「共通の検査装置は、単独で調達した場合のリードタイムは何ヶ月か」。
ファンドのほうは、数字の再現性を聞いてきた。「過去三期の配賦基準の変更履歴を示せ」「主要顧客上位十社の取引条件の改定履歴を示せ」。
八月のお盆の週、僕と水島さんと的場くんの三人で、この回答を作っていた。会社はほとんど誰もいなかった。空調が二十六度に設定されていて、夕方になると暑かった。
的場くんが「これ、答えるほど値段が下がりませんか」と聞いた。
いい質問だった。実際、正直に答えるほど、こちらの数字は削られる。
僕は「下がる。でも隠すと後で全部崩れる」と答えた。鴻池さんに教わった言葉ではなく、六月に自分がCFOに言ったことの繰り返しだった。繰り返しながら、自分の言葉になりつつあるのを感じた。
最終報告と、そのあと
最終報告は九月末だった。買い手候補は、事業会社が一社と、投資ファンドが一社。二社まで絞られた。
価格が合わなかった。
こちらの提示と、向こうの提示に、けっこうな開きがあった。開きの中身は、四十七名の扱いと、共通設備の買い直しをどう見るか、だった。つまり、六月に僕たちが三案で並べた、あの前提のところだ。
年内は継続検討、という結論になった。それから半年が経つが、まだ決まっていない。
後記 ―― 「なりたくないです」
三月に、水島さんが三年目になった。別の案件で、彼女と一度飲んだ。
そのときに、彼女が「私、マネージャーにはなりたくないです」と言った。
僕は「早いよ」と笑った。笑ってから、なんで、と聞こうとして、聞けなかった。
理由が僕にある可能性を、その場で計算してしまった。計算して、聞かないほうが安全だと判断した。三十四歳の、マネージャー一年目の、いちばんみっともない判断だった。
いま考えているのは、あの日曜の作り直しのことだ。
僕は、彼女の八時間を捨てた。捨てたこと自体は、たぶん仕方がない。締切があって、成果物の形が違っていて、直す時間がなかった。
問題は、そのあとだ。「使ったよ」と言ってしまったせいで、彼女には、自分の八時間が捨てられたという事実も、なぜ捨てられたのかという理由も、届いていない。
届いていないから、次も同じことが起きる。起きたときに、彼女は自分の読み違えに気づけない。
僕は、彼女から「学べる機会」を取り上げたことになる。優しさのつもりで。
あの二十二時七分のメッセージを、僕はまだ消していない。文面は二行で、いま読むと、何を作ってほしいのかがどこにも書いていない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。