「書き方を変えられないか」と言われて、私はその場で断らなかった
成り立たない、と書くための六ヶ月だった。書いたあとで、いちばん小さい案だけが別の名前で動き出した――鴨志田が、二十八億円の施設を三つに割った記録。
試算の結果は、年間で四千百万円の赤字だった。
三十年の運営で、累計の赤字が十二億円になる。
この数字を、最初に見たのは八月の火曜日だ。
見た瞬間に、この案件がどう終わるかが、だいたい分かった。
鴨志田です。四十四歳。シニアマネージャーになって四年目になる。
アサイン ―― 四月
クライアントは、人口が九万二千人の市だった。
依頼は、駅の近くの市有地に建てる交流施設について、民間の資金と運営を入れる形が成り立つかを検討することだった。
施設の構想は、三年前からある。
図書館の機能と、子育ての支援の機能と、物販や飲食の区画を一つの建物に入れる。
延床が六千二百平方メートル。総事業費の見込みが二十八億円。
この構想は、市の総合計画に書かれている。
書かれているので、やらないという選択肢は、形式上はなかった。
形式上はなかったが、お金がない。
市の一般会計は、年間で三百八十億円くらいだ。
二十八億円を一度に出すのは難しい。だから、民間に入ってもらう形を検討したい、という話だった。
委託の金額は、千三百万円。期間は六ヶ月。
チームは、私と、三年目の人の二人。シニアマネージャーが実働に入るのは、金額が小さいからだ。
相手 ―― 政策企画課長
窓口は、政策企画課の課長の方だった。
四十一歳。市役所に入って十八年目だと言っていた。
この構想を、二年前から担当している。
最初の打ち合わせで、その人は構想の資料を四十分かけて説明した。
資料は、きれいだった。パースの絵が入っていて、にぎわいの図が描いてある。
説明が終わったあと、私は一つ聞いた。
「この施設で、お金を生むのはどの部分ですか」
その人は、「物販と飲食です」と答えた。
物販と飲食の面積を聞いた。
六千二百平方メートルのうち、七百八十平方メートルだった。
一割ちょっとだ。
残りの九割は、図書館と、子育ての支援と、共用の部分になる。
この九割からは、収入が出ない。
出ないものを、民間が運営する理由はない。
理由を作るには、市が運営の費用を払う。それが指定管理の料金になる。
つまり、民間に入ってもらっても、市の支出は消えない。形が変わるだけだ。
このことを、課長の方は分かっていた。
分かっていて、それでも「民間が入れば何とかなる」と言われている、という状況だった。
言っているのは、市長と議会だった。
三年前の資料
構想が三年前に作られたときの資料を、全部もらった。
段ボールで二箱あった。
中に、前の調査の報告書が入っていた。別のコンサルティング会社が作ったものだ。
二年前の日付で、百四十ページある。
読んだ。
需要の推計が載っていた。年間の来館者を、五十八万人と置いてある。
五十八万人の根拠を探した。
人口九万二千人の市で、一人あたり年に六・三回来る、という計算だった。
六・三回の根拠は、「類似の施設の実績」と書いてある。
類似の施設がどこかは、書いていない。
三年目の人に、似た規模の施設の実績を調べてもらった。
公表されているものを十二件集めた。人口十万人前後の市にある複合の施設だ。
一人あたりの来館の回数は、いちばん多いところで四・一回、いちばん少ないところで一・二回だった。
中央は、二・四回だった。
六・三回は、十二件のどれよりも多い。
この数字を、私たちは最初の報告で入れ替えた。
入れ替えたのは、二・八回だ。十二件の中では、上から四番目にあたる。
課長の方は、その数字を見て「これは、厳しい数字ですね」と言った。
厳しい、というのは、低いという意味だった。
私は、「標準的な数字です」と答えた。
答えながら、前の報告書を作った人のことを考えた。
その人も、たぶん同じ場所に座っていた。
立ち上がり ―― 誰が入りたいか
まず、入りたい事業者がいるかどうかを確かめた。
声をかける先を、三つの層に分けた。
一つ、全国で施設の運営をやっている会社。四社。
二つ、建設と不動産で、地元に拠点がある会社。六社。
三つ、物販と飲食で、地元で店をやっている会社。九社。
合計で十九社に、個別に話を聞きにいった。
六月の一ヶ月で、十九社を回った。
回るのに、車を使った。レンタカーを借りて、私が運転した。
一日に四社から五社。移動が一時間ずつある。
六月の走行距離が、千百キロを超えた。
十九社のうち、「条件次第で検討する」と答えたのが、三社だった。
残りの十六社のうち、十一社は「規模が大きすぎる」と言った。
五社は、「市が何を求めているか分からない」と言った。
この二つの答えの意味は、同じだった。
三社の内訳は、全国の運営会社が一社、地元の建設会社が一社、地元の飲食の会社が一社だ。
全国の運営会社の方は、条件をはっきり言った。
「指定管理の料金が、年間で一億二千万円以上出るなら」
一億二千万円は、市が今の図書館にかけている費用の、二倍を超えていた。
三社に、もう一度詳しく話を聞いた。
地元の建設会社の方は、建てる部分には関心があるが、運営には入りたくないと言った。
理由は、三十年の契約が長すぎるからだ。
その会社の社長は六十三歳で、後継が決まっていない。
三十年の約束をする立場にない、という言い方をされた。
飲食の会社の方は、逆だった。
運営はやりたいが、七百八十平方メートルは広すぎる、と言われた。
その会社が今やっている店は、いちばん大きいもので百四十平方メートルだ。
五倍以上の区画を、埋められる自信がない。
「半分にしてもらえるなら」と言われた。
半分にすると、収入がさらに減る。
全国の運営会社の方は、三回目の面談で担当が変わった。
変わった方は、「社内で検討の優先順位が下がっています」と言った。
下がった理由は、聞かなかった。聞いても、答えは出ないと思った。
結局、三社のうち、最後まで条件つきで残ったのは一社だけだった。
一社しか残らないと、競争にならない。
競争にならないと、価格が決まらない。
これも、試算の前提に効いてくる話だった。
商工会で言われたこと
七月に、商工会の方々に説明する場があった。
十四人いた。副会長の方が、いちばん奥に座っていた。
六十八歳で、駅前で商売を四十年やっている方だった。
説明が終わったあと、その人が手を挙げた。
「これ、できなかったらどうなるんですか」
私は、「検討の結果、成り立たないという結論もありえます」と答えた。
その人は、少し笑って、こう言った。
「あんたらは、帰るからいいよな」
私は、何も言わなかった。
言い返す言葉はあった。私たちの仕事は、帰ることを前提にした仕事だ。
だから、帰ったあとに残るものだけを書く。そう言えばよかった。
言わなかったのは、その場で言うと、言い訳に聞こえると思ったからだ。
いまでも、言わなくてよかったのかは分からない。
試算 ―― 八月
収支の試算を組んだ。
収入は、物販と飲食の賃料と、施設の貸し出しの料金と、駐車場。
年間で、八千二百万円と置いた。
支出は、建物の維持と、光熱費と、人件費と、修繕の積み立て。
年間で、一億二千三百万円。
差し引きで、四千百万円の赤字になる。
この赤字を、市が指定管理の料金として払う形になる。
今の図書館の運営費が、年間で五千六百万円だ。
新しい施設にすると、それが九千七百万円になる。四千百万円増える。
建物を建てる二十八億円は、これとは別にかかる。
起債して三十年で返すと、年間の返済が元利で一億一千万円くらいになる。
合計すると、市の負担は年間で二億円を超える。
一般会計が三百八十億円の市で、一つの施設に毎年二億円。
無理だ、と私は思った。
三年目の人も、同じことを言った。
試算の前提を、課長の方と二人で一つずつ確認する会を、八月に三回やった。
一回が三時間ある。
確認したのは、二十七個の前提だ。
賃料の単価、稼働の率、人件費の単価、光熱費の上がり方、修繕の積み立ての率。
二十七個のうち、課長の方が「もう少し良い数字にできないか」と言ったのが、九個あった。
九個のうち、六個は私が受け入れた。
根拠の幅の中で、上のほうを取る、という程度のことだ。
残りの三個は、受け入れなかった。
受け入れなかったのは、賃料の単価と、物販の稼働の率と、修繕の積み立ての率だ。
この三つを甘くすると、試算が別のものになる。
三回目の会の終わりに、課長の方が「鴨志田さんは、固いですね」と言った。
固い、と言われて、少し嬉しかった。
嬉しかったことを、あとで思い出して、嫌だった。
固いことを褒められて喜ぶのは、相手を困らせていることと同じだ。
「書き方を変えられないか」
九月の初めに、課長の方と二人で打ち合わせをした。
会議室ではなく、庁舎の一階の端にある相談用のブースだった。
数字を見せた。その人は、十分くらい黙って見ていた。
それから、こう言った。
「鴨志田さん、書き方を変えられないですかね」
変える、というのは、結論の出し方のことだった。
「成り立たない」と書くと、議会で構想そのものが止まる。
止まると、二年かけた準備が消える。それだけでなく、関わった人たちの立場がなくなる。
だから、「条件が整えば成り立つ」という書き方にできないか、ということだった。
私は、その場で断らなかった。
断らなかった理由は、二つある。
一つは、その人が二年やってきたことを、知っていたからだ。
もう一つは、その書き方が、技術的には可能だったからだ。
条件を並べて、全部が揃えば成り立つ、と書くことはできる。
揃わないことは、読む人が読めば分かる。
私は、「持ち帰ります」と言った。
四日
持ち帰って、四日考えた。
四日のあいだに、パートナーの方に一度電話した。
その人は、「鴨志田さんが決めてください」と言った。
決めてください、は、突き放しではない。この規模の案件では、そういうものだ。
四日目の朝に、ホテルの部屋で結論を出した。
朝の六時二十分だった。カーテンを開けて、外が明るいのを見てから、メールを書いた。
書いたのは、三行だった。
結論は変えられないこと。ただし、構想を三つの規模に分けて、それぞれの収支を出すこと。
いちばん小さい案なら、市の負担が年間で六千万円に収まること。
課長の方からの返信は、その日の十一時に来た。
「ありがとうございます。三案でお願いします」とだけ書いてあった。
最終報告 ―― 十月
報告の場は、庁舎の三階の大会議室だった。
市の側が十九人。副市長の方が座っていた。
資料は六十八枚。説明に一時間、質疑が五十分あった。
三案を出した。
一案、構想どおりの六千二百平方メートル。市の負担は年間で二億一千万円。
二案、三千八百平方メートルに縮小。図書館と子育ての支援に絞る。負担は年間で一億三千万円。
三案、二千百平方メートル。既存の図書館を改修して、子育ての支援の機能を足す。新築はしない。負担は年間で六千万円。
結論のページには、「一案は、現在の財政の見通しでは成立が困難である」と書いた。
困難である、と書いた。
成り立たない、とは書かなかった。
副市長の方は、最後に「よく分かりました」と言った。
それ以上のことは、言わなかった。
生活 ―― 四十四歳
年収は千四百万円くらいだ。この職位になって、変動する部分が増えた。
住んでいるのは借家で、家賃が十六万円。子どもが二人いる。上が中学一年で、下が小学四年。
六月に千百キロ運転した話を書いた。
運転していると、腰が痛くなる。レンタカーの座席は、調整の幅が狭い。
タオルを丸めて、腰の後ろに入れていた。これは、三年目の人に笑われた。
七月に、母の介護保険の保険料の通知が実家に届いた。
母は七十四歳で、要支援の認定を受けている。
通知の写真が、妹からLINEで送られてきた。
その日、私は市の財政の資料を読んでいた。高齢者の人口の推計が載っているページだった。
推計の中に、母がいるような気がした。
気がしただけで、何も思わなかった。思う時間がなかった。
後記 ―― 一年後
翌年の秋に、三年目だった人から連絡が来た。
その人は、別の案件でその県に行っていて、ついでに駅前を見たらしい。
工事は、始まっていなかった。
市のサイトを見ると、構想は「継続して検討」という扱いになっていた。
ただ、別のことが動いていた。
既存の図書館の改修が、来年度の予算に入っていた。
金額が、四億二千万円。
内容を読むと、子育ての相談の窓口を図書館の二階に入れる、と書いてある。
三案のうちの、三番目だった。
名前が違う。「交流施設整備」ではなく、「図書館機能強化事業」になっていた。
名前が違うので、構想が否決されたことにはならない。
構想は、まだ生きている。生きたまま、別のものが先に建つ。
課長の方は、春の異動で別の部署に移っていた。
移ったことを、私はサイトの組織図で知った。
連絡は、していない。
あの四日のことを、その人が覚えているかどうかは分からない。
私は、覚えている。
四日かけたことを、いまも長かったのか短かったのか、決められていない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。